dream a little dream of me 8
私たちのクラスのカフェは午前中だけでも盛況で、廊下にお客さんの列ができるほどだった。
「和美ー、これあっちのテーブルにお願い」
「茜、さっさとオーダーとる！！」
食券を売りながらその場を取り仕切っている智子が、私たちに的確な指示を飛ばす。忙しくても笑みを絶やすわけにはいかない。写真まで頼まれたりするものだから店の回転はあまり良い方とはいえなかった。
「おいしかったねー」
それでも出ていくお客さんからそんな声が聞こえるものだから、どんなに忙しくても嫌だと思う気持ちはなかった。
できればもう少しここで接客をしていたいくらい。でもそれも叶わず、時計はもうすぐ正午を指す。私はそろそろミスコンの準備に行かなければいけない時間だ。
「和美ちゃん」
次の係の子に引継ぎをしている間に、教室を訪れた人に声をかけられた。そちらを振り返るとそこには諒子さんの姿。
短いスカートからスラリとした脚が伸び、立っているだけなのに人目を引く。
「諒子さん！」
自分でもパァっと顔が明るくなるのを実感した。思わず満面の笑みを浮かべ、そちらに駆け寄る。
「ちょっと遅くなっちゃってごめんなさい。来る途中に色々見てたら、おもしろいものがいっぱいで」
「いえ、私も今ちょうど係が終わったところなんです」
引継ぎ相手の係の子に「じゃあ後お願い」と言葉をかけて、私は諒子さんの前に立った。
ただでさえ２０代後半のお姉さんがいるだけで皆興味を惹かれるのに、凛とした雰囲気の彼女だから余計だ。クラス中の女装した男子が彼女に見惚れている光景は少し異様だった。
「ミスコンは１時からだったっけ？ じゃあもう準備に行くのよね。和美ちゃんのクラスでお茶飲むのはその後にしようかな」
「後でご案内しますよ」
笑って応じて、私は手にしていたトレイを近くにいた男子に手渡す。今から控え室に向かって着替えてメイクをすれば、十分間に合う時間だろう。
実はメイクも諒子さんに手伝ってもらう予定だった。クラスの出し物に参加をしている今は控えめにしてもらったメイクだけれど、ミスコンになるともっと派手にした方がいいということになったからだ。
「私も準備見に行きたい！」
はいはい、と近くで手を挙げる智子。そしてそれに倣う茜。
そんな２人を諒子さんに紹介してから、私は３人と教室を出ると体育館横の控え室へと向かった。
「じゃあ智子ちゃんと茜ちゃんは、和美ちゃんとユキとのことは全部知ってるのね」
他の店の勧誘をかいくぐりながら、諒子さんがそう再確認する。それに頷いて返事をする智子は、結構気が合うのか楽しそうに諒子さんと話を続けていた。
他の生徒たちに要所要所は聞かれないように、少しだけ声のトーンを落とす。智子たちとしても、私に諒子さんのような味方がいてくれることを実感してそれを嬉しいと感じてくれているようだった。
「素敵な人だね」
智子と諒子さんが並んで話をしている後ろで、こそっと茜が私にそう耳打ちをした。
「うん」
諒子さんも理沙さんもそうだ。友達と呼ぶには私は子どもすぎて２人に申し訳ないけれど、姉のようでもあり先生のようでもあり、頼りにできる存在だった。
だからこそ、この日あの時…諒子さんがいなかったらどうなっていたのだろうと思うと、自分でもぞっとする。
「…何…これ…」
体育館横の部室長屋の各部屋は、ミスコン参加者にそれぞれ一つずつ貸し出されている。私に控え室として用意されたのは陸上部女子の部屋で、鍵も文化祭実行委員会から既に手渡されていた。
今朝、ドレスやアクセサリーを置きに来た時は何の異変もなかったはずだ。
「…和美…っ」
智子が、青ざめた顔で私を振り返る。それくらい、扉を開いたそこは荒れ果てたものだった。
置かれたテーブルや長椅子は乱暴に倒され、普段陸上部が使っているのだろう私物もグチャグチャだ。
だけどそれより一番に私たちの目を奪ったのは、ビリビリに引き裂かれて投げ捨てられた私のドレスだった。
「…ひどい…」
口元を手で覆って、茜が呟く。震えそうな声は今の私の心情を代わりに表しているかのようだった。
膝から力が抜けそうだ。立っていられなくて、思わず智子の肩に捕まるようにして体重を預けた。
「何なのよこれ…っ！ どこのクラスの仕業…っ！！？」
そんな私を支えながら、智子がそう声を荒げた。
諒子さんが用意してくれた無残なドレスの脇には、これも見立ててもらったネックレスが引きちぎられて捨てられていた。
飛んだパールが、部屋の隅に転がっている。
…うかつだった。こんなことをする人間がいるなんて思ってなかったし、過去の前例でも聞いたことがない。
鍵さえかけておけばそれをこじ開けてまでこんな嫌がらせをされるとは思わなかった。
「…どうしよう…」
今度こそ、膝から崩れ落ちる。ペタンと腰が抜けたようにそこに座り込んでしまった。ミスコンまでもう後１時間ちょっとしかない。
代わりのドレスなんて見つけられるはずもないし、このままでは出られるわけがない。
「……っ」
クラスの皆の、送り出す時に向けてくれた笑顔を思い出す。期待に応えられるかは分からないけれど、皆のためにも自分なりに精一杯やりたかった。
なのにこれじゃ…。
「…こんなの…ひどすぎるよ…っ」
泣きそうな茜の声に、私の視界も涙で揺れてしまいそうだった。
「………」
黙っていた諒子さんが、スッと室内に踏み入る。
残骸のようなドレスを拾い上げて、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさだったけれど「ちっ」と舌打ちをしたのが分かった。
「…あのクソガキ…」
およそ彼女のものとは思えないような囁きが聞こえた気がしたけれど、それに反応する余裕も私たちにはなかった。
不愉快に顰められていた表情が、次の瞬間申し訳なさそうに私を振り返る。
「ごめん和美ちゃん。…これは私のせいだわ」
「……え…？」
「さっき変に煽っちゃったからね…まさかこういう方向で出てくるとは思ってなかった」
「諒子さん…？」
思わず呼びかけ返した私だったけれど、諒子さんは一瞬ふっと顔を俯かせた。「誰か」に対する怒りを沈めるかのように目を伏せた後、次に顔を上げた時には智子と茜を振り返る。
「智子ちゃん、花壇でもどこかの教室からでもいいから、大きめの花を少し多めに持ってきてくれる！？ それと茜ちゃん、裁縫道具持ってるかしら」
「え！？ …あ、はい…！」
慌てて返事をして、２人は「持ってきます！」と叫んで部屋を飛び出して行く。残された私は、諒子さんにグッと腕を掴まれた。引っ張られて立ち上がらされた私に、彼女は真剣な目で言う。
「和美ちゃん、ここは私に任せて。できる限りのことはするわ」
力強い彼女の言葉に、私は訳も分からないままコクンと頷くことしかできなかった。
******
２人が頼まれたものを取りに行っている間に、諒子さんは私を椅子に座らせると持っていたメイク道具を出して手早く作業を開始した。
今してある化粧は拭き取り、ベースから丁寧に作り上げてくれる。
普段は使ったことがないような濃い目のアイシャドウを引き、マスカラもボリュームをアップさせるものらしい。
閉じていた瞳を諒子さんの合図で開いた瞬間、鏡に映っていたのはまるで自分ではないみたいだった。メイクの仕方一つでこれほど印象が変わるのかと驚かされる。
少しきつめのメイクは目元をよりはっきりと見せ、自分でも思わず背筋が伸びてしまうほどだ。
そんな自分の姿に思わず呆気にとられていたその時、智子と、そして少し遅れて茜が戻ってきた。
「諒子さん、これ…っ」
「ありがとう」と言いながら差し出されたそれを受け取った諒子さんは、一旦近くのテーブルにそっと置く。そしてそれから、「和美ちゃん、一回立って」と私に声をかけた。
言われるままに、ためらいがちに立ち上がる。だけど諒子さんはそんな私の遅い動作とは正反対に、キビキビとした動きで私のチャイナドレスのスカート部分を掴んだ。
「え…っ？」
思わず私や智子の声が重なる。諒子さんが何をしようとしているのかが分からなかったからだ。だけど次の瞬間、彼女はスリット部分に手をかけると勢いよく左右に引っ張った。
手作りな上に、このチャイナドレスの作成者は私だ。縫合も甘いだろうし、女性でも少し力を加えれば破ることはできる。
驚く私の目の前で、諒子さんは表情も変えないまま茜に「茜ちゃん、裁縫道具」と催促をした。
あまりにも恥ずかしくて人より浅めにしていたスリットが、太もものかなり上の方まで引き裂かれる。そして諒子さんは、手早くその引きちぎられた箇所をほつれないように縫いとめた。
逆側のサイドも同じだ。だけど今度は、諒子さんの意図を理解した茜がスリットを縫うことを自ら手を挙げて立候補してくれた。
「……」
茜が作業をしている間に、諒子さんは今度は智子が持ってきた花を手にする。その間も、私と智子はあまりのスピードと展開についていけずに茫然と互いの顔を見合わせるしかなかった。
そんな短い時間でも２人はあっという間に進めて行く。諒子さんはいくつもの花の茎を少しだけ残して折ると、私の髪に飾って落ちないようにピンで固定していった。
「……すご…」
智子が驚きの余り、思わずといった感じに声を漏らす。
「すごいよ…！ これなら、さっきまでと同じチャイナドレスでも印象が違う…！」
アップにしていた髪は下ろされ、色とりどりの生の花を飾ることで華やかに彩られた。必要以上に深いスリットも、さっきまでの「文化祭用」と言わんばかりのものとは全く印象が違う。
あまり女の色気といった類に自信がない私でも、それなりに見える気がしてくるから不思議だ。
「でもこれは、応急処置よ」
苦い顔で、諒子さんは呟く。
「正直、ミスコンで不利なことに変わりはないと思うわ。だって、皆もう和美ちゃんのチャイナドレス姿は見てるんだから」
彼女の言葉に、茜も表情を曇らせた。
「そうですよね…皆和美のチャイナドレス姿を午前中に見に来てたし、いくら和美がキレイでも一度見ているものでミスコンに出ても…」
他の候補者のようにコスプレや水着やらドレス姿やらで出てくる人たちに比べたら、確かに印象は薄くなるだろう。
「…それでも…」
茜の言葉に首を振りながら、私は小さく呟きを漏らした。
そう、それでも引くわけにはいかない。
正直諒子さんがいなかったらこんな風に切り抜けられなかっただろうし、出場もできなかったと思う。それが今では、何とか形にはなり舞台に上がることはできる。
クラスメイトたちの「優勝」という期待にまでは応えられないかもしれないけれど、出られるだけでも十分だ。
「２−Ａ、準備いいですか？」
ノックと共に、実行委員の人が外から声をかけてくる。いつの間にか１時間近くあった準備時間も費やしていたらしい。
「はい…！」
諒子さんや智子、茜に「ありがとう」と頭を下げて、私は身を翻す。
表情に気合を入れなおして、ミスコンの行われる舞台の袖へとゆっくりと歩いて行った。