dream a little dream of me 16
約束の週末、私は持たされた住所のメモと地図を頼りになっちゃんの家の最寄り駅にいた。
なっちゃんの家は学校からもそう遠くないので、うちからもほんの２駅離れているだけだ。何度か訪れたことのある駅で電車を下りて、改札を抜けると駅周辺地図に向かう。
なっちゃんが書いてくれた地図と照らし合わせて、駅のどちらの出口へ向かえばいいのかを調べた。手の中のメモに赤く記されたそこは、どうやら駅から少し歩けばいいだけの距離のようだ。
知り合いの夫婦の家に赤ちゃんを見に行くと説明したところ、母親に持たされた手土産は予想よりも重かった。
それと、行く途中に駅前のお店で奏くん用のかわいいスタイをプレゼント用に包んでもらう。そうしていると本当に、ただ幸せな家庭に遊びに行かせてもらうだけの気分にすらなる。
そもそも、なっちゃんの言う「ラストチャンス」がどうしてなっちゃんの家で訪れるのかが分からない。
きっとろくでもない強攻策でも考えているんだろう。吐息まじりに苦笑を漏らすと、私は駅の出口から外のデッキへと抜けた。
「…と、こっちかな」
さっき地図で確認したはずだけれど、平面上のものと実際に目にした立体の街では少し印象が違う。
何とかそれらを頭の中で照らし合わせながら、私はクルリと踵を返した。
「…わ！」
その瞬間、すぐ後ろを歩いていたらしい人にドンと勢いよくぶつかってしまう。
「す、すみません！」
周りの景色を確認することに気を取られていた私の方が、明らかに悪い。慌てて謝った私だったけれど、ぶつかった拍子に手にしていたお土産の紙袋を落としてしまった。
「…あー…」
母親が用意したお菓子の包みが入った紙袋は、底が見事に破れてしまっていた。これでは手土産として持ち運ぶには無様すぎるし、何より袋の役目を果たさない。
「こちらこそすみません」と小さく言った、ぶつかった相手の男の人は、私がその場にしゃがんで紙袋を拾い上げているのをしばらく眺めていた。
それから、自分が持っていた荷物の紙袋をスッと差し出してくる。
「え…！ でも…」
その意図を理解して、驚いて顔を上げた私にその人は無表情のまま首を振る。
「さっきそこの店で買い物して、二重にしてもらってるから」
確かに、そう言う彼が差し出した紙袋は、荷物が少し重めのものなのか二重になっていたようだ。
「…すみません」
恐縮しまくりながらそれを受け取った私は、その時になって初めて相手の顔を正面から見据え直して、思わず目を見開いてしまう。
見覚えがあったからだ、その顔に。
「…じゃあ」
それだけ言って去って行こうとするその人の後ろ姿に、思わず私は「…あの！」と声をかけてしまっていた。
「？」
私が呼び止めたことに少し不思議そうに首を捻りながら、その男の人はこちらを振り返る。
「ありがとうございます。…二度も助けていただいて」
「……二度？」
私の言葉に、彼が怪訝な顔で応じる。繰り返されたその問うような声に、私はコクンと頷いた。
「覚えてらっしゃらないかもしれませんけど…私、前に菅原先輩と言い争っている時に先輩に助けていただいて…」
「……」
その顔を見た時に見覚えがあると思ったのも当然だ。この人は、同じ学校の１年先輩だった。
本城先生とのことで菅原先輩に絡まれている時に、さりげなく助け舟を出してくれた人。あの時上履きの色が３年生のものだったことも覚えている。
「…あぁ」
思い出したのか、彼は少し思案した後小さく頷いた。
そしてそれから、「菅原とはその後大丈夫？」と尋ねられた。
「あ、はい…あの時は本当に助かりました」
そして何より、私が本城先生のことを好きだということがあの後噂にすらならなかったのは、彼が誰にもあの時のことを言わないでいてくれたという証拠だ。
そのことも踏まえてそう言うと、先輩は無表情のまま小さく首を横に振っただけだった。
私は、そこで記憶の糸を手繰り寄せる。この先輩の名前を、ちょっと前に学校でも聞いたことがあったはずだ。
全く目立つような人じゃないけれど、一度だけすごく校内で噂になったことがあったから。才色兼備で有名な「あの」春日愛海先輩と付き合っていて、夏休み前に別れた、と…。
そして今では、確か私と同じ学年の女の子と付き合っているはずだ。
一時期好奇の目が向けられていたのを覚えている。私はそれほどそういう意味で興味があったわけじゃなかったけれど、一度自分を助けてくれた人だから覚えていたんだ。
確か、その「噂」の時に聞いた名前は……。
「ありがとうございます、タクミ先輩」
思い出した名前と共に、ニッコリと笑ってお礼を言う。すると彼は、「…いや」と短く愛想のない返事をした。あまり表情に感情が出ないタイプらしいけれど、見ているこちらも不快になるような冷たさはないので不思議だ。
それから近くのドラッグストアに行くという先輩には短く挨拶をして、その場で別れた。
改めてなっちゃんの家へ足を向けて、私もそこを後にする。もらった紙袋のおかげで手土産も持ちやすくなった気がした。
「和美ちゃーん！ 久しぶりー」
何とか迷わずに辿り着いたその家で、理沙さんが満面の笑みで出迎えてくれた。
久しぶりに見るその眩しいほどの笑顔に何だかほっとする。その腕には小さな奏くんを抱いていて、すっかり「お母さん」に見えた。
「かわいい！！」
第一声にそう叫んでしまうほど、かわいい赤ちゃんだ。まだ小さすぎてどちらに似ているのかまではわからないけれど、なっちゃんと理沙さんだったらどちらに似たって美形な赤ちゃんに変わりはないだろう。
「上がって上がって！ 楽しみにしてたのよー」
「理沙さん、大丈夫なんですか？ お体とか…」
よく産後１ヶ月は安静に、なんて言わないだろうか？ どう見ても理沙さんは「安静に」している様子はないように思う。
「うん、大丈夫よこれくらい。力仕事とか家事は手を抜いてるし。…それより和美ちゃん、色々と大変だったみたいね」
ねぎらうような言葉をかけられて、私は苦笑いを浮かべながら頷く。
恐らく理沙さんが言っているのはミスコンやら何やらの一連のことだろう。蓮くんにその後襲われそうになったことは本城先生以外知らないことだから、そこまで知ってしまったら理沙さんは卒倒するかもしれない。
「それより、今日私、なっちゃんにラストチャンスだって呼ばれたんですけど…」
早速手を洗って奏くんを抱っこさせてもらいながら、私は理沙さんにそう言う。
それを聞きつけたかのようなタイミングで奥の部屋からリビングにやってきたなっちゃんは、「よぉ」と適当な挨拶を私に寄越した。
そして理沙さんが私に何かを答えるより早く、なっちゃんはソファに座って私にも勧めながら何食わぬ顔で続けた。
「白石、今日もう１人客呼んでんだ」
「え？ …あ、そうなの？」
急に話を変えられた気がして、私は目を丸くしながらも頷き返した。勧められるままに、奏くんを抱いたその態勢でソファに腰かける。
赤ちゃんは温かくて柔らかくて、そっと抱かないと壊れてしまいそうで怖いくらいだ。
「ごめんね、和美ちゃん。この人が呼ぶって聞かなくて…」
「あ、いえ、私はいいですよ。どなたがいらっしゃるんですか？」
まさか先生ではないだろうし、私にこう断るってことは修司さんや諒子さんでもないだろう。
小さく首を捻りながら尋ねると、理沙さんは少し反対気味なのか「私の弟」と吐息まじりに答えた。
理沙さんの弟さん…というと、前に少しだけ話を聞いたことがある。
確か理沙さんとは結構年が離れていて、まだ高校生だとか…。理沙さんもなっちゃんも、かなり溺愛しているんじゃなかったっけ…。
「え、でもむしろいいんでしょうか…身内で団欒…なところに私の方が入っちゃって」
「それは全然いいの！ というか私が和美ちゃんに会いたかったもの…。ただねぇ…」
理沙さんがチラリとなっちゃんを見たけれど、向こうは知らんぷりしてソファに身を沈めている。
「白石、話したことなかったと思うけどよ」
「…うん？」
姿勢悪くソファに座るなっちゃんの呼びかけに、私は小さく相槌を打って先を促した。
「ユキがお前を置いてあの女のところに行った時…俺は相当腹が立ってた。ユキの言い分なんて聞こうともしなかったし、誰が何を言っても多分聞く耳持たなかった」
「…うん」
それは知ってる。私の目の前でも、なっちゃんは先生を完全に無視していたし…。なっちゃんは否定していたけれど、それは私のために怒ってくれたからだってこともわかってる。
「そんな俺が、ユキの話をちゃんと聞こうと思ったきっかけは…その『弟』だったんだ」
「……え？」
「ちなみに、義弟にはお前とユキの話全部しちまったから」
「えぇぇぇぇ！！！？」
あまりにも悪びれずにさらっと言われたので、私は思わず大声を上げてしまっていた。
遠慮のかけらもない叫びだったので、一瞬にして奏くんが腕の中で驚いたように泣いてしまった。
「あ、ごめん…っ」
慌ててあやそうとするけれど、うまくいかない。隣で理沙さんが手を伸ばしてくれたので、そちらに任せることにした。
お母さんの腕の中に戻ると安堵するのか、一瞬で泣き止むんだから母親ってすごいと思う。
奏くんが泣き止んだのを見てホッと息をついてから、私は続けて別の意味でのため息をついた。さっきなっちゃんに言われたことに対して、だ。
…でも、考えようによっては別に大げさに捉えなくてもいいのだろうか。
どうせその弟さんは私のことは知らないわけだし、「見たこともない他人」の話としてなっちゃんから聞かされただけだろう。
自分の恥ずかしい事情を知られても、以前からの直接の知り合いでもなければまだマシだ。
…なんて、思った自分が甘かったと知るのはこのすぐ後だ。
玄関のチャイムが鳴る音がして、理沙さんが「はいはーい」とそちらへ向かう。
その軽い声質から、どうやら噂の「弟さん」本人が来たのだろうと分かった。
自分のプライベートなことまで知られている初対面の相手…と思うと少し恥ずかしくもあり、私は何となく姿勢を正してしまう。
「よぉ、准一」
理沙さんに連れられてリビングに入ってきた「その人」に、なっちゃんは笑顔で軽く挨拶をする。
私はというと、その人を見て思わず硬直してしまった。