華２

サークルにいる友人の友人の先輩あたりから流れてきたらしい話を友人に聞いて、
何となく見つけた就職活動用のWebサイトに名前とメールアドレスを登録した。
何かについての説明会があるから来ると良い、という内容のメールがいつの間にか届いていたので、
やはり何となく、添付されていた地図を見ながら降りたことのない駅の知らない建物に行ったのだ。
どんな内容の集会だったのか、既に思い出せなくなっていたその帰り道、
馴染みのない地下鉄の電車の中、スーツ姿の人間で敷き詰められた中に
居場所をやっと見つけたところだった。
車内アナウンスが利用したことのない駅名を告げて、すぐ近くのドアが開く。
ひとかたまりになった、ドレス姿の女が数人と、スーツを着た男が数人、
両手に2，3個の紙袋と大きな花束を抱えてなだれ込んで来た。
「良かったねー」
「泣けたー」
「綺麗だったねー」
結婚式、だろうか。
行ったことはないのだが、どこかで聞いたような言葉とどこかで見たことのあるようなドレスで
何となく、そう思う。
しかしなぜ、客が花束を持って帰るような事態になるのだろうか。
今の自分の知る範囲だけでは、その理由が想像できなかったため、すぐに気にしないことにする。
走り出した電車の中で、花の香りだろうか、女の香水の匂いだろうかが、こちら側に一斉に流れてきた。
気づかれることもないだろう、と思い、遠慮なく顔をしかめたまま
その空気の流れから逃げようとしたが、
車内に移動できるほどの隙間は既になく、諦めてドアのガラスを見る。
地下鉄の壁は、黒い色なのか暗いせいでそう見えるのか、そのせいで電車のドアは車内の景色をそのまま映し出していた。
そこに映る自分の顔のすぐ横に、名前も知らない花が揺れている。
そしてまた別の花は、何度も何度もドアにぶつかって、
その花を支える茎は今にも折れてしまいそうだった。
花も葉も、束ねられた部分から一番遠いところほど、傷がついていたり欠けてしまっていたりする。
それを覆う透明な包装紙もシワだらけだ。
束ねているのは今にも解けてしまいそうな薄桃色のリボン。
それを掴んでいる女の手には、不自然な程に綺麗な形をした爪が色のついた光沢に覆われていて、
なぜ取れないのか不思議な小さなガラス球が車内の僅かな照明を受けて光る。
揺れる電車に合わせて動く花と葉の隙間から、
それを持つ女のうなじにかかる解れた髪の毛が数本見えた。
甲高い笑い声と、野太い大きな話し声が、狭い地下鉄に響きわたる電車の走行音に混じり、
頭の中を麻痺させるには十分な騒音になっている。
電車の加速度が落ちた。
重心を意識して体の揺れを調整する。
それが出来ない花は大きく揺れて、自分を含めて周囲の人間の頭や顔にぶつかって、
女の履いているヒールが床を打つ音がした。
男の掴んでいるつり革が、千切れそうな音を立てる。
空気を揺らして、電車が停まると、先ほどの駅で乗ったばかりのその集団が一斉に
ドアの方へと向き直った。
その動作で、ドアにぶつかっていた、一番長い茎の先についていた花が捩れて折れる。
もう水分を吸い込めそうにない茎の皮一枚で支えられた花は垂れ下がり、
開いたドアの隙間に花びらの一部が吸い込まれ、
その花は茎の皮一枚の部分から千切れて落ちた。
戸口に落ちたその花に目を落とすと、その脇を女のヒールと大きな男の革靴がいくつも通り過ぎていく。
雑音の少し減った車内の中、不自然に落ちている花をそのままにして、
ドアはまた閉まり、電車はゆっくりと加速した。
その紫色をした花を、拾おうかと一瞬考えて、何のためにとすぐに思い直し、止める。
ぶつかってシワだらけになった花びらはしかし、まだ水分を含んでいて、
きっと、そのまま花瓶に生ければしばらくは咲き続けてくれるのだろうけれど。
そんなことを思いながらまた電車は停まり、開いたドアから人が降りて、
またそこから人が乗り込んできた。
ただ少しだけ先ほどとは違い、人の動きがその花の上で一瞬戸惑ったように止まり、
足がそれを跨いで行く。
一度踏まれてしまえば、花の形はなくなってしまうだろう。
降りる駅で、ドアが開いた。
自分の足もその紫色の花を跨いでホームに降りる。
当然、また次にこの駅で、同じ電車に乗ったとしてもそこに紫色の花はないだろうけれど。
自分はきっと、この駅の名前もすぐに忘れてしまうのだろうけれど。
紫色をした、名前も知らない花の姿を、
きっと自分はこの先に何度か思い出すのだろう。
根拠も自信もなくそう思い、すぐに次に乗る地下鉄の名前を思い出しながら、
人の流れに沿うようにして、人工の明かりの中を歩いていた。
きっと家に着く頃には、もう既に紫色の花のことを忘れてしまうのだろうとも、予感しながら。

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