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side:Kazuma
「そうそう、ハルカ見つかったんだってよ。…え？ブジだよブジ。心配すんなって」
電話の向こうの真帆は、安心したのか涙声になっていた。
ハルカが無事見つかったと連絡があってから、俺が真帆に電話をかけた。
すぐに華江と直にも伝わったらしく、電話の向こう側で安堵の息を漏らすのが想像できる。
…大体、こいつらは必要以上に心配しすぎだと思う。
…まぁ俺も、ハルカが実際変な奴に襲われそうになってた話を聞いた時はさすがにびっくりもしたけれど…。
「だからさ、最初の予定通り、解散にしようぜ。お前らちゃんと直に送ってもらえよ」
そもそもなんでこんなことになったのかというと、数十分前のことに遡る。
誰の言葉をも聞き入れずにハルカを捜しに走って行ってしまった誰かさんのせいで、真帆と華江も「行く」と断固として聞かず…。
仕方がなく、直が同行することになった。
そうすると、ハルカが無事に待ち合わせ場所に戻ってきた時のために、誰かが残らなくてはならない。
その役目が、自然と俺と愛海先輩に割り当てられたわけだ。
ハルカのこととなると目の色が変わる真帆と華江は、そうと決まるとすぐに駆け出して行ってしまった。
唯一周りのことにもよく気配りする直が、俺と愛海先輩を振り返って少し心配そうな顔をしていた。
それはそうだろう。テスト前のあの時…俺の顔を見ただけで、愛海先輩はあんな状態になったんだから…。
「こっちは大丈夫だ。あいつら頼んだぜ」
ポンと肩を叩くと、直はそれ以上は何も言わずに２人の後を追った。
もし、ハルカが見つかった時…あまりにも全員が遠い場所にいたら、そのまま解散にしようと打ち合わせしてから。
実際見つかったハルカはかなりきわどかったらしいが無事で、やはりかなり離れた場所にいた。
直たちも祭り会場の入口の方まで探しに行ってしまっていたらしく、ここは予定通り解散するのが得策だろう。
そう思ったけれど、実際そうなるとあの男と愛海先輩が別々に行動するハメになってしまう。
それはどうなんだろう…と思ったけれど、予定通りの解散を決めたのは他でもない、愛海先輩だった。
「ハルカちゃん。変な男に絡まれて怖い思いしたんでしょう？今日はもう帰った方がいいわよ。
タクミに家まできっちり送ってもらって」
どうやら電話の相手は当の本人らしく、愛海先輩はそんなことをハルカに言って聞かせていた。
それを脇で聞いていた俺は、思わず目を見開いてしまう。
…まさか彼女が、そんなことを言い出すとは思っていなかったからだ。
…だって、ハルカは恋敵なはずだろう？
…そう思ったけれど、すぐに思いなおす。
ハルカが見つかったと連絡があるまで、愛海先輩がどれほど心配そうにしていたか…。
恐らく、恋敵とか問題はそんなことじゃなくて。
ただ純粋に、愛海先輩はハルカのことが一個人として好きなのかもしれない。
だから、怖い思いをしたハルカをそのまま帰してやった方がいいと思ったんだろう。
だけど…問題は、愛海先輩のまた別の一言だった。
「私も向井くんと一緒にいるから送ってもらうし」と、彼女は確かにさっきそう言った。
…直が、どこにいるって？
思わず電話中の愛海先輩にツッコミそうになったが、ハルカにバレるとやっかいなので黙っておいた。
そのまま納得したらしいハルカと通話を終わらせた愛海先輩に一連の事情を聞いて、俺は真帆に連絡を入れたわけだ。
…というのが、ここまでの話の大筋だ。
「せっかくだから、もうちょっと遊んで行こうか」
休憩所の椅子から立ち上がりながら、浴衣姿の愛海先輩は座ったままの俺を見下ろしながらそう言う。
ニッコリと笑って見せるその笑顔は、どこか艶っぽくて彼女らしかった。
「……」
…「遊んでいく」って…そういう場合なんだろうか。
言いかけたけれど、彼女は俺の返事を待たずに歩きだしてしまった。
それを追うように椅子から立ち上がり、先輩の隣に並ぶ。
さっきまでの心配そうな表情はもうどこにもなく、ハルカの無事がわかって晴れ晴れとした顔をしていた。
「…なんで、嘘ついたんですか」
ふと尋ねてみると、「…嘘？」と愛海先輩は心外そうに眉を寄せて振り向く。
小さく頷いて、俺は「さっきの電話」と続けた。
「直と一緒にいる、って…ハルカに言ってませんでした？」
言われて、愛海先輩は「あぁ」とニコっと笑って見せる。
「だって、そうでも言わないと納得してくれないでしょ？」
続いた言葉に、俺は思わず黙りこんでしまった。
確かに…彼女の言う通りかもしれない。誰が、とは、聞き返さなくても拓巳先輩のことだとわかった。
…あの、愛海先輩を守るナイトさまが…俺と２人きりになることを許すはずがない。
２週間ほど前に、あんなことがあったばかりだから尚更だ。
「こんな機会でもないと…柴田くんと話もできないしね」
確かに、あの日から今日まで…愛海先輩とは顔すら合わせなかった。
それが彼女の意志か…あの男がそうさせていたのかはわからないけれど。
まぁもとより、俺の方から会いにいけるはずはなかった。
「ホントはね…、あの日からずっと、あなたと話がしたかったの」
…だから…だろうか。今日愛海先輩が、俺たちの中に混ぜてほしいと提案してきたのは。
俺と話をする機会を…探していたんだろうか。
……何のために？
ふと浮かんだ疑問は、顔に出ていたのかもしれない。
俺の顔を見上げた愛海先輩は、少しだけ微笑んで見せた。
あの時、俺の顔を見て悲鳴を上げた彼女とは…別人のようだった。
「謝りたかったの、あなたに」
小さな声が、確かにそう告げる。
『謝る』……？そうしなきゃいけないのは、俺の方じゃなかったか。
「あの日、ひどいことしてごめんなさい」
パニックを起こして叫び声をあげたことを、彼女は謝る。
だけど…俺の顔を見たらそうなることはわかっていたのに、抑えられなかった自分の方に非があったんじゃなかったか。
放っておけば頭まで下げそうな彼女に、俺は慌てて首を横に振った。
「やめてください。あれは俺が……」
全てではないけれど、先輩の事情なら少しは知ってる。
ああなってしまうことは十分に予期できたことだった。
言いかけた俺の言葉を、先輩の方が首を振って遮る。
それから、さっきと同じようにかすかに微笑んでみせた。
中学の時から何も変わらない…あの時の笑顔だった。
その表情に、ギュッと胸が締め付けられる。
呼吸がしづらい。胸が苦しい…。
ずっと、見たくて止まなかったその笑顔だったから。
「びっくりしたのよ、あの時…。まさか柴田くんが日本に帰ってきてるなんて思わなかったから」
さっき休憩所でもらったウチワで扇ぎながら、愛海先輩はそう続けた。
すれ違う人たちと肩がぶつかりそうになり、俺はそれを避けながら彼女の方を振り向く。
前を向き直して、先輩は歩きながら言葉を継いだ。
「あの学校で、中学時代の人に会うなんて思ってなかった。…だから、ちょっとびっくりしただけ」
不意に見た懐かしい顔に、驚いたのだと彼女は苦笑い気味に言う。:
「柴田くんは、何にも悪くないのにね…ごめんね」
先輩が最後にそう付け足した言葉に、俺は再び胸が痛むのを感じる。
でもそれはさっきまでの「切なさ」に似たものではなくて…単純に、「痛み」でしかなかった。
『関係ない』と、言われたも同然だと思ったからだ。
俺は何も悪くない。でも、関係もないんだ、と…。
確かに愛海先輩が苦しんでいる『過去』に俺は全く関わっていないけれど。
彼女を傷つけられるほど近くにも行けない自分。その現実にやられそうになる。
……いや。
彼女を傷つけるほど近くに行ける人間なんて…、俺は、そもそもたった一人しか知らない。
「…先輩」
静かに呼びかけると、こちらを再び振り向いた彼女が、少しだけ首を傾げて見せた。
浴衣に合わせた髪飾りが、少しだけ揺れる。
目を合わせられないせいでそれを眺めながら…俺は、声を絞り出すように続けた。
「…俺じゃ、『あの人』の代わりにはなれませんか」
中学の時、何度口にしたセリフだろう。
数えるのもバカらしくて、実際に指を折ったことなんてないけれど…。
それを何度も耳にしてきたはずの先輩の方も、この時はわずかに目を見開いた。
それから、わずかに目を細めて微笑んでみせる。
悲しいくらいに…切ない笑顔だった。
「…ごめんね」
これもまた何度も聞かされた言葉を、先輩は静かに口にした。
そうやって何の変化も成長もないまま…俺たちは何度このやり取りを繰り返しただろう？
想う気持ちだけは、ここ数年で更に募って育っていったというのに…。
俺と彼女は、いつまで自分を変えることもできないまま立ち止まり続けるんだろう。
…この時ばかりは、状況と感情・相手の想いを考慮して臨機応変に自分を変えられるハルカが…少しだけ羨ましかった。
「柴田くん」
改めて呼びかける彼女は、自分の頭の上に飾られている七夕飾りを見上げる。
だけど瞳に映ったそれすらも…今の彼女には「見えて」はいないようだった。
「…本当は…うちの学校に転入してきて、すぐに剣道部に入りたかったでしょう？」
胸の内を見透かしていたかのように、先輩はそう意外な言葉を続けた。
「……」
黙ったままいると、彼女はやはり少し困ったように笑う。
「いきなり会ったら私がパニックを起こすって分かってたから…私がいる剣道部には来なかったんでしょう」
中学の時は、俺も愛海先輩と同じ剣道部に所属していた。
アメリカに行くと同時に辞めたけれど…日本に戻ってきたら、すぐにでもやりたかったのは事実だ。
だけど、愛海先輩にすぐに会いに行けずにいたから、始められずにいた。
「私なら、大丈夫だから」
先輩は、そう言う。
…恐らく、俺の顔を見てももう『過去』に囚われて悲鳴を上げたりはしないだろう。
「柴田くんがうちの部に入ってくれたら、真帆ちゃんも喜ぶと思うわ。男子の主将が頼りないって愚痴ってたし」
そこまで言って、先輩は少し笑う。
つられて笑みを見せようとしたけれど、うまくいったかはわからなかった。
不意に、思う。
俺たちの…いや、先輩と拓巳先輩…そしてハルカの関係は、いつ変化するんだろう…と。
その鍵を持っているのは他でもない拓巳先輩だけれど…それを開けようとしなければいけないのは、愛海先輩の方だ。
だけど…「変われる」のだろうか？この２人が。
偽りの恋人という関係を…それでも４年も続けられているこの２人が？
「……」
ギリと唇を噛み締めて、俺は先輩にバレないように力をこめる。
「変わらなきゃいけない」、そう一番分かっているのは俺なはずなのに…その俺が、一番無力で。
そんな自分に憤りさえ感じて、口の中に広がった血の味の苦さに眉を寄せた。