day by day 2
クリスマス当日は智子たちと集まることになっていたから、先生に会えるのはイブの夜だった。
１７時までのバイトを終えて、まだこれから忙しくなるお店を出る。そうしてまっすぐ先生の家に向かう途中で、お気に入りのケーキ屋さんでクリスマスケーキを買った。
さすがに誰もが浮かれて外出の多くなるこの日に、外で食事なんてことはできない。
先生の家でご飯を食べることになっていたので、私がケーキを買って行く。本当なら夕飯も私が用意したかったのだけど、「バイト終わってからお前が作ったら何時間かかるかわかんねぇ」なんてあっさり却下されてしまったんだ。
何日も前から楽しみにしていたし、浮かれても無理はない。軽い足取りで向かうと、扉を開けた瞬間先生は少し苦笑いを浮かべた。
「また今日は一段とテンション高そうだな」
大好きな人と初めて過ごすクリスマスだ。女子高生ならはしゃいでも当然だと思う。
テーブルにはもう既に先生が食事の用意をしてくれてあって、それがしかもかなり豪華なものだったので驚いた。
てっきり男の人の料理というと、もっと豪快なのを想像していたからだ。
「先生、これ全部一人で作ったの…？」
「んなわけねぇだろ。半分くらい買ってきた」
それでも残り半分は作ったということは…私の腕じゃ本気で先生の足元にも及びそうにない。年が明けたら茜に料理の特訓をしてもらいたくなってしまう。
だけどとりあえず今日は、へこむよりも楽しむことを選んだ。
「おいしい〜っ」
本当にどれを食べてもおいしくて、私はずっと頬を緩ませっぱなしだった。
先生はいつも食べるのも作るのも面倒くさがるからあまり料理をするところは見たことがなかったけれど、やはり一人暮らしの年数がそれなりに長いからできないことはないようだ。
かなりの量があったけれど、今日のバイトの話や他愛もない話をしているうちに、ほとんど食べつくしてしまう。
「毎回毎回、お前よく食うよなぁ。その体型の割に」
どこか感心したように言う先生は、半ば呆気に取られたような表情をしていた。
「そうですか？」
「お前らこの前、学校帰りに駅前でハンバーガー食ってただろ。あれは何だ、夕飯か？」
「あれはおやつです」
「……すげぇな女子高生って」
女子高生が皆こうなわけではないし、私たちだっていつもそんなに暴飲暴食をするわけではない。
けれどそこを訂正するのも違う気がしたので、曖昧に笑って返した。
「高校生は動き回るのでお腹が空くんです」
「バレー部の江口はともかく、お前文化部じゃねぇかよ」
「それはほら…顧問のいびりに耐えてると精神的疲労も甚大で…」
「…お前ケーキなしな」
「えぇ！？ 買ってきたの私なのに！」
慌ててテーブル上のケーキを死守すると、先生は吹き出して「冗談だよ」と笑った。
今日は夕方までバイトだったし、２２時くらいには家に帰らなきゃいけない。
不在がちなことが多い両親が、今日は揃って家にいるはずだからだ。
ご飯を食べて、後片付けをして…話をしていたら時間が経つのはあっという間で。「帰りたくない」なんて拗ねた声を出したら、先生は「バーカ」と言ってまた笑う。
「そろそろ出るか。車で家まで送ってってやるから」
本当に帰らなきゃいけない時間。そう言う先生はやけにあっさりしたもので、名残惜しいなんて思ってくれているかどうかも分からない。
自分だけがこんな気持ちを持て余しているのかと思うと、八つ当たりもしたくなって当然だ。
「…先生は本当に女心が分からないですよね」
唇を尖らせて言うと、先生はわざとらしく首を傾げる。
「女心は確かに分かんねぇ…っつーか興味ねぇけど、お前の考えてることは大体分かるぜ」
「どこが！？」
「…ほら、クリスマスプレゼント」
急に続けられたその言葉の響きに、私はバッと顔を上げる。
「……」
だけど目の前に差し出されたその包みを条件反射で受け取りながら、思わず眉を寄せた。
「…何だかこの大きさと言い重さと言い、嫌な予感しかしないんですが」
「失礼な奴だな。今のお前が欲しそうなものを１５分もかけて選んだんだぜ」
「短っ！ １５分って！」
思わずツッコミを入れてしまうと、先生が声を上げて笑う。あまりに無邪気に笑われるものだから仕方なく私は諦めてその包みを開いた。
そこから顔を覗かせたのは、予想通り化学の問題集の束。
「…しかもなんだか高レベルな匂いが…」
「簡単には解けねぇだろうな」
「……完全に嫌がらせじゃないですか…」
「何で？ 冬休みにここに通う口実ができただろ？」
どれだけ悪戯好きなのか。珍しくそんなに笑顔を向けられたら邪険にもできない。
「ありがとうございます」
思わず私も観念して吹き出すと、もらったプレゼントの代わりに鞄からラッピングされた箱を取り出す。
「これ、先生にプレゼント」
まさか私が用意しているとは思っていなかったのか、先生はその瞬間少しだけ目を丸くした。
「何？」
「開けてください」
言われるまま包装紙を開けた先生は、中の箱に収められたジッポを見てそれから私に視線を移した。
「お前が選んだのか？ これ」
「そうですけど…」
好みに合わなかったかと気になったけれど、先生は「ふーん」と呟きながらジッポを手にして笑った。
「センスいいな、お前。サンキュー」
「！！」
「……何だよ、その衝撃的な顔」
思わず絶句するように呆けてしまった私に、先生は目を細める。
「いやだってまさか…そんなにステキな笑顔でお礼を言われるとは思ってなくて…」
「…は？」
「もっとしれっとした顔で『どうも』っていうか、『お前趣味悪ぃな』なんて悪態をつかれるとばかり…」
「…お前の中で俺はどんな人格設定されてんだ」
あながち外れてもいないと思うんだけど、とは、思ったけれど口にはせず「ふふ」と笑い返した。
ジッポをそのままポケットにしまった先生と、参考書の入った袋を提げた私と。
手を繋いでマンション地下の駐車場に行く時には、私はもうかなり機嫌が直っていたと思う。
「なんか嬉しそうだな」
車に乗り込んだ時に、先生は小首を傾けながらそう不思議そうに言った。
本当は、何でも嬉しいんだ。先生にもらえるなら参考書だって問題集だって。…ううん、それ以前に、一緒にいられるだけで。
帰りたくないのは本当だし、もっと一緒にいたい。でも、きっとたった数時間でも隣にいられることが幸せで。
口にはしなかったそんな思いすら見透かされたのか、先生はいつもの苦笑いを浮かべる。
「お前ってホントに…素直っていうか……単純だよな」
「はいっ？」
褒められている気はしないので、思い切り抗議口調で聞き返す。だけど先生は、運転席のドアを閉めながら意外な言葉を続ける。
「まぁそういうところがかわいいんだけどな」
「『か』！？ …先生どうしたんですか！？ ね、熱でもあるんですか！？」
「……お前な、空気読めよ空気を」
目を細めて呆れたような声で非難される。だって先生の口からとは思えない言葉が飛び出したら、誰だって驚くに決まってる。
だけどそんな言葉を返す前に、運転席から身を乗り出した先生に唇を塞がれた。シートベルトをしようと思ってかけていた手を思わず離してしまうと、それがスルリと元の場所へ戻る。
一瞬驚いた私だったけれど、やがて目を閉じた。
「…ん…」
触れ合うだけだった軽いキスが、やがて深くなってくぐもった声が漏れる。
後頭部に添えられた大きな掌からすら、熱を感じるほど熱くて…。
長い長いキスの後、「さて帰るか」なんて言って身を離した先生の顔を、まともに直視できるはずはなかった。
******
友達とパーティーをすると言って出て行ったから、２２時までなら親も許容範囲だと思う。
先生に送ってもらってギリギリで玄関に滑り込むと、リビングにいた母親が「お帰り」と声をかけてきた。
「ただいま」
「お風呂すぐに入れるわよ。夕飯は食べてきたんでしょ？」
「うん、ありがとう」
父はリビングのソファで、仕事疲れかうたた寝をしているところだった。
起こさないようにそっとリビングを抜けて、階段を上がる。自室に戻って鞄ともらった問題集の袋を机に置いたところで、部屋をノックする音がした。
「はーい」
返事をすると、こちらが開ける間もなくそのドアが開く。
「お帰り。ちょうど良かった。英和辞典貸して」
クリスマスイブも返上して受験勉強をしていたらしい祥太郎が、顔を覗かせた。
「そこから勝手に持っていって。って、あんただって英和辞典くらい持ってるでしょ？」
「姉ちゃんのやつのが詳しくて分かりやすいんだよなぁ」
「同じの買えばいいじゃない」
「そのうちね」
肩を竦めながら祥太郎は部屋に入ってくる。まっすぐ私の本棚へ向かうと、辞典をその手に収めた。
「あ、そう言えば祥太郎」
ふと思い出したことがあって、私はそのまま部屋を出て行こうとする後ろ姿に声をかける。
「今日バイト先のお店でクッキーもらったんだけど、いる？」
クリスマス用でお客様にサービスとして配るものだったらしい。そのうちの一つをもらってきてあったはずだ。
受験勉強を頑張ってるご褒美にしてはささやかだけど。
「いるいる」
ドアに手をかけようとしていたのを止めて、祥太郎はこちらに戻ってくる。
「ちょっと待って、鞄に入れてあって…」
持って帰ってきたばかりの鞄に手を入れ、中を探った。物がたくさん入っているために、なかなかすぐには出てこない。
「あれ？ おかしいなぁ」
「…姉ちゃん鞄の中くらい整理しなよ」
「うるさいなぁ。今日はバイトだったからちょっと荷物が多いのよ」
鞄の口を大きく開き、中を覗き込みながらガサガサと音を立てて探す。だけどそんな途中で、目的のクッキーの袋とは違う物が指先に当たった。
「…？ 何これ」
見覚えのない物に、覚えのない手触り。
首を傾げながら取り出すと、正方形の小さな箱だった。リボンがついていて、シンプルなのに大人っぽくてかわいい感じ。
「うわ、何それ。そこ結構高いブランドだよね？」
後ろから覗き込んできた祥太郎が、そんな声を上げる。
「先生にもらったの？」
重ねて尋ねられて、私は慌てて大きく首を振った。
先生にもらったのはあの重い問題集だ。だけどバイトを終わった時に鞄の中身は一通り確認してる。その時には確実になかった。
だとしたら…これを入れたのはそのバイトの後に会った先生しかいなくて…。
だけど私は自分の鞄からそんなに目を離した時間はないと思う。少なくとも、先生が何かを入れていたら気づくと思う。
「……あ」
そう思ったけれど、一度だけ心当たりがあった。先生がこれを私にバレないように鞄に入れたとしたら、あの長いキスの時くらいだ。
思わず小さく声を洩らした私を見て、祥太郎は「…なんかよくわかんないけど良かったね」なんて言いながら自分の手を差し出した。
その手に「早く」と催促されている気分になってようやく思い出し、慌てて私は鞄の中からクッキーの包みを探し出した。
祥太郎の手の平にそれを乗せると、あいつは特にからかうような素振りも見せずそのまま「ありがと」とだけお礼を言って部屋を出て行った。
ドアがパタンときちんと音を立ててしまったことを確認してから、私は慌ててバッと例の箱と向き合う。
このブランドは知ってる。２０代の女性に人気の…そう、諒子さんとか理沙さんみたいな綺麗な人に似合いそうなアクセサリー類を販売している。
女子高生にはなかなか買えないし、デザイン自体が大人っぽいから高嶺の存在だ。
「……っ」
ドクドクと高鳴る胸を押さえながらそれを開ける。指が途中で震えそうでうまくいかなかったけれど、何とか包みを丁寧に開いた。
そこにあったのは、透明の石がいくつもついた綺麗なシルバーリング。照明の灯りできらめいて見える。
指輪のサイズの話なんてしたことがあっただろうか？ 左手の薬指に試しに通してみたら、ぴたりとそこに収まった。
「……あ、電話…っ」
お礼を言わなきゃ。ポーっと指輪に見惚れてしまいそうになっていたところを我に返ってそう思い立ったけれど、そう言えば先生は今別れたばかりだから運転中だ。
持ち上げた携帯電話を机の上に置きなおして、私は何だかじっとしていられなくて思わずベッドの上に飛び込んだ。
「…〜っ」
どうしよう。身悶えしそうなほどの喜びが込み上げる。今別れたばかりなのに会いたくて仕方ない。
先生は、どこまでお見通しなんだろう。私を喜ばせる方法なんて手に取るように分かるんだろうか。
会えただけでも嬉しいし、プレゼントが問題集でも嬉しい。でも、それでもこんなことをされたら涙が出るくらい幸せな気持ちになるってことを。
私が思っているよりも、先生は私のことをよく理解してくれているんだ。
今『会いたい』ってメールしたら、「バーカ」なんて言って笑うだろうか。
とりあえず先生が家に着く頃に電話をかけることにして、私は薬指につけた指輪をかざし、うれし涙の浮かぶ目でそれをいつまでも眺めていた。