dream a little dream of me 3
楽しみにしていた週末はあっさりとやって来て、修司さんと諒子さんのウェディングパーティー当日私は相当浮かれていた。
明日からは何があるか分からない。蓮くんに邪魔をしないと保証されているのは今日までだったけれど、それでも束の間の平穏に浮き足立ってしまうのも無理はない。
パーティーは夕方からレストランを貸切で行われる。かなり早めに美容院に行って髪をセットしてもらい会場に向かった。着慣れないドレスは大人しくなりすぎず派手になりすぎず…見た目くらいはせめて２０歳以上に見えるだろうか。
早めに着いたけれどもうその会場の前室には多くの人がいて、緊張が増してしまった。
話には聞いていたけれど、諒子さんのお友達も修司さんのお友達も、おしゃれで大人な雰囲気の人が多い。
諒子さんの職場の人はアパレル関係の人だし、２人の友人といえば大学でジャズ研にいた人たち。雰囲気から独特でもおかしくはないかもしれない。
そんな中私一人が浮いている気がしたけれど、ウェルカムドリンクをいただいている間に何人かの人に声をかけてもらった。修司さんたちの友達だからか、親しみやすく人懐こい人が多い気がする。私が一人でいるから気を遣ってくれた人もいたようだ。
「和美ちゃん…だっけ？ 大学生くらい？ 諒子の方の友達？」
ベリーショートの髪が印象的な、一番優しく声をかけてくれたかっこいい女性がそう尋ねてくる。
「あ、実は諒子さんの店の常連で…そこから仲良くさせていただいてるんです」
修司さんや諒子さんと打ち合わせた「設定」を答えて、私はニッコリ笑った。
「そっか。諒子、お客さんともすぐ仲良くなるもんねー」
笑って言う彼女には、どうやら疑われてもいないようだった。
そんな感じだったから、何人に声をかけられてもそれなりにうまく受け答えできていると思っていた。…あの時までは。
やがてかなりの人数が集まってきた中、一人の女性が部屋に入ってきた。
濃いブルー系の、細身のドレスを着たスラッとしたスタイルの人だった。緩くパーマをかけた髪をアップにし、あいた首元からですら色気を感じるような素敵な人だ。
だけどその人が、入ってきた途端に私を視界に留めて「あれ」と目を見開いた。
「あなた、ユキ先輩の…」
思わずと言った感じに言いかけた彼女は、そこでハッと我に返ったように口元を抑える。
私も驚きの余り声を失って立ち尽くしたけれど、周りの人がその呟きを聞き逃すほど甘くはなかった。
「え、ユキってユキサダ？ 何か関係あるの？」
ベリーショートの女性が、そう尋ねてくる。どうやらこの人もジャズ研出身の人のようだ。
どうしよう…！ ごまかそうとしても、どうしてもいい言い訳が思い浮かばない。
自分の失言を悔いているのか、目の前の彼女も気まずそうに私を見た。だけどその時、ふっと私たちの視界に影が落ちる。
「学校の生徒だ」
いつの間にこの場に着いていたのか、そこには平然とそんなことを言う本城先生がいた。いつもよりオシャレなスーツ姿に、思わず目を奪われそうになる。
「えぇっ？ 生徒！！？ ってことは和美ちゃん高校生！？ ユキって高校教師だよね！？」
「諒子の友達じゃないの！？」
何人かがそれぞれの驚きの声を上げる中、先生はドリンクを受け取りながら何食わぬ顔で続ける。
「こいつが諒子と知り合ったのと俺の生徒だってのは別件だ。偶然だろ」
あまりにも平然と嘘をつくものだから、周りの人たちはその言葉を疑いもしなかったようだ。
「そんな偶然ってあるんだ」とか「世間は狭いな」なんて呑気に話しながらも納得してくれたようで、散り散りに散って行く。
「あ、じゃあ私も…」
元凶とも言える声を上げたあの女性も、首を竦めながら立ち去ろうとした。だけど先生が「来栖」と低い声でその人を呼んで引きとめる。
「お前が余計なこと口走るから面倒くせぇことになるんだろうが！」
「ごめんユキ先輩！ だってあの和美ちゃんがここに来るとは思わなかったから…」
来栖さん、と呼ばれたその女性は、ボソボソと…それでも一生懸命先生に言い訳をする。
それを眺めていた私だったけれど、先生の鋭い眼差しは今度はこちらに向いた。
「お前もお前だ。 変に小細工したり嘘をつくなって言っただろうが。余計に面倒なことになるんだよ」
「…ごめんなさい」
来栖さんと並んでお説教される小猿のようにうなだれ、身を縮めてしまう。それを一睨みした先生は、「ふん」と鼻であしらうとそのまま踵を返して他の人たちの方へ紛れて行ってしまった。
「…本当にごめんね、和美ちゃん」
申し訳なさそうな顔で謝られ、私は大きく首を横に振る。それよりも、彼女がさっき「あの和美ちゃん」と言っていたことの方が気になっていた。
それが分かったからか、来栖さんはニコリと笑う。
「奈那子って呼んでね。理沙と高校からの親友で…和美ちゃんの写真も、夏に彼女から見せてもらってたの」
「あ…！ 理沙さんの…！」
そう言えば話だけは私も聞いたことがあった。大学のジャズ研には理沙さんの大親友がいて、今でも仲良くしているとか。そんな 彼女だったら、私と先生のことを知っていても確かにおかしくはない。
奈那子さんがもう一度改めて私に謝ってくれた時、ちょうど開場時間になったらしく、すぐ近くの重厚な扉が開いた。
スタッフの人に中へ促されると、いくつものテーブルが整然と並んでいる。真っ白なテーブルクロスの上に真紅の花が映える。
諒子さんと修司さんの意向もあり、今日のパーティーは形式的にはカジュアルなものだ。食事も立食のビュッフェ形式で、普段なら余興のような ものを楽しむような時間も全てジャズセッションの時間に充てられている。
ジャズ研の人が多くいる今日だからこそできるようなパーティーだった。
奈那子さんは知り合いのいない私を気遣ってくれたのか、さりげなく私の近くにいてくれていた。自分も久しぶりに会う友達もいるだろうに、だ。
理沙さんの友達ということもあり、先生と私の関係を知っていることもあり…私も構えずに話ができる数少ない人だった。
そんな奈那子さんと話をしているうちに、会場が暗くなる。
甘い雰囲気のあるジャズが流れ始めたかと思うと、入り口がバッと開いて眩しい明かりが差し込んできた。
逆光のように眩しいそれに目を細めると、その中から現れたのは新郎と新婦の姿。
いつ見ても美男美女のカップルだけれど、タキシードとウェディングドレスに身を包む２人は一層輝いてみえた。
「…っ」
感動の余り、場に不似合いなほど必死で拍手してしまう。諒子さんはスレンダーな体型にぴったりな純白のドレスを身にまとっていて、今まで見てきた 中で一番キレイだった。言葉にするのが難しいほどの美しさ。
幸せそうな笑顔で会場の中を入ってくる２人を見ていると、尚更羨ましさと憧れの感情が胸の内いっぱいに広がっていく。
「キレイですね…」
諒子さんを見て呟くと、奈那子さんは隣で「ね」と同意する。花嫁姿の諒子さんが目の前を通る時には、思わず嘆息の息が唇から零れたほどだ。
テレビでよく見るようなお決まりの固い形式はなく、司会も友人の中の一人が務めるようで思ったよりラフなパーティーだった。
友人のスピーチなんてものも、なんと事前にお願いしているわけではなく、その場で新郎新婦がくじを引き、名前を引かれた人がその場でお祝いの言葉を送るというもの。
どの人も当たると困ったように照れ笑いをしていたけれど、その場を和ませる素敵なスピーチを繰り広げていた。
最後にくじで当たってしまった奈那子さんも、苦笑いしながらもマイクの前に立つ。
「修司さん、諒子さん、本当におめでとうございます。思えばお２人に初めて出会ったのは大学のジャズ研で…」
なんてお決まりのセリフから始まったと思いきや、
「ジャズ研に入ったのがそもそも修司さん目当てだった私としては、本当は今日もかなり複雑なんですが」
と爆弾発言を続けたので私は驚いたのだけれど、それは周知の事実だったらしくジャズ研のメンバーたちはそこで大笑いしていた。 壇上では諒子さんですら笑っていたほどだから。
「でも、修司さんと諒子さんは羨ましいくらいお似合いだと思います。いつまでもお幸せに」
ニッコリと笑顔で締めくくった奈那子さんの言葉に、拍手が沸き起こる。そうして何人かのその日のスピーチは終えた。
その後はまたジャズ研のメンバーの名前がくじ引きにされているようで、それを引かれた人たちはその場で急にセッションを強いられるというゲーム感覚のライブが始まった。
「社会人になって皆ブランクあると思うので、そこはご愛嬌で…。あ、新郎もくじに入れてるのでよろしく」
司会の人のそんな言葉に続いて、諒子さんの手でくじが引かれる。そうして選ばれた面子が壇上に上がって即席のライブを始めると、それをＢＧＭに会場全体は食事と歓談という時間になる。
諒子さんと修司さんもあっという間に多くの人に囲まれてしまって、完全に私は出遅れた感じだ。今行っても波に乗り切れずにろくに２人と話ができそうにない。
「……」
さりげなく会場内で先生を探したけれど、見つけた時に後悔した。なっちゃんから釘をさされていたことだから覚悟はしていたけれど、その周りには 女性だらけ。先生がどうこうというよりも、女の人の方が寄ってくるんだと思う。女遊びが激しかった割にジャズ研内の女性とどうこうは一切なかったようだから、そこだけはせめてもの救いだった。
「和美ちゃん、私、諒子さんたちのところ行ってくるけどどうする？」
もしかしたらむくれていたかもしれない。だけどそれを気にする様子もなく、ふと奈那子さんがそう尋ねてきてくれる。恐らく他のジャズ研の人たちと合流して２人に挨拶に行くのだろう。
そこに便乗するのは何だか悪い気がしたし、まだ人だかりはすごそうなので私は遠慮して後で行くことにした。
「そう？ じゃあ先に行ってくるね」
ニコリと笑ってグラスを片手に歩いて行く奈那子さんを見つめながら、私は壁際に立って小さく息をついた。
先生のことを別にすれば、２人の幸せそうな笑顔を見られて生のジャズライブまで聴けて…私まで幸せな気分だった。
だからこそ、蓮くんにこれを壊されたくない。パーティーが終わっても、あの２人の邪魔なんてさせない。
…そう、胸の内で決意を新たにした時だった。
「和美ちゃん、だったよね」
さっき前室で声をかけてくれた一人の男の人が、またポツンと立っている私に気を遣ってくれたのか名前を呼んでくれた。
確かこの人の名前は…三村さんだったと思う。
「食べてる？ ケーキもおいしそうなのいっぱいあったよ」
「はい、いただいてます」
三村さんは修司さんより１個下の後輩らしく、理沙さんや奈那子さんと同期になるらしい。
ジャズ研ではなっちゃんのように聴く方専門だったらしく、今日のライブでくじに当たることはなくて安心だと笑っていた。
真面目そうな人で、今は都内に一人暮らしでサラリーマンをしているらしい。話がうまくて面白い人だった。
「それで、その時修司さんがさ…」
当時の話をあまりに楽しそうに話してくれるものだから、私としては自分も知らない修司さんや諒子さんのことを知れて興味深かった。話上手なので尚更だ。
諒子さんが飲み会で酔いすぎて嫌がるなっちゃんにキスをしたことは今でもジャズ研で伝説になっているらしい。声を立てて笑いながらそんな 話を聞いていると、三村さんはやがて「あ、そうだ」と何かを思い出したように言った。
「和美ちゃん、ここのテラスって出てみた？ 向こうに見える夜景が綺麗で、かなり良かったよ」
そう言えばここのレストランの売り文句の一つがそれだった気がする。
下見に来た時は見られなかったので、いつか見てみたいと思っていたんだった。
「見に行ってみようか。ドリンク持って行ってあげるから、先に行ってて」
ニコニコ顔の三村さんに促されて、言われるまま私はテラスの方へと背中を押される。
パーティーの時間はまだまだあるし、修司さんたちに挨拶するのはまた後でも大丈夫だろう。そう思って、「はい」と小さく返事をした。
「わぁ…」
外に出てみるとそこには何組かのテーブルがあり、椅子に座ると目の前には確かに思わず声を上げてしまうほど綺麗な夜景が広がっていた。
遠くに見えるビル郡の明かりが眩しくて目を細める。絶景スポットとまではいえないけれど、これほど素敵な夜景はなかなかこの辺りじゃ見られない。テラスには 他に誰もいなかったので、まるで独り占めしているかのようだ。
「気に入った？」
ドリンクを２つ持った三村さんが、まるでこの夜景が自分のもののように言うので何だかおかしかった。
持ってきたドリンクを手渡してくれながら、「和美ちゃんのドレスと同じ色にしてみた」とキザなセリフを乗せる。本気でキザな人ではなく、 「なーんて」と照れ笑いを浮かべるようなかわいい人だったので私も思わず笑ってしまっていた。
もらったドリンクはピンク色をしていて、少し酸味が利いていた。ピンクグレープフルーツジュースか何かだろうか。
三村さんの方はワインを飲んでいるようで、尋ねると無類のワイン好きだと返ってきた。ただし、ワイン以外のお酒には興味もないし詳しくもないらしい。
三村さんと椅子に座って夜景を眺めながら、話をする。彼はさっきのあの時に私が先生の生徒だというところは聞いてしまっていたようで、高校の話なんかも振ってくれた。
もうすぐ文化祭があることなんかを言うと、「いいなぁ、俺もその頃に戻りたいよ」なんてしみじみしていた。大人の男の人に失礼だけれど、いちいちリアクションにかわいさのある人だ。
そうしてどれくらい経った頃だろう。段々と異変を感じ始めたのは…。
体が熱くなってきて、少し息苦しい気がする。火照る頬を押さえたけれど、自分で思ったよりそこが熱い気がした。
「…和美ちゃん？」
そんな私がおかしいことに気づいたのか、三村さんもこちらを覗き込む。それから私の顔を見て、ハッと我に返ったように目を見開いた。
「もしかして、これ酒…！！？」
自分が持ってきたピンク色のドリンクを驚いた目で振り返って、絶句している。
そうか、お酒……。だからこんな……。
「ごめん、和美ちゃん…！ 俺、ノンアルコールか確認したつもりだったんだけど…」
焦って言う三村さんが、心配そうにこちらを見ていた。
「み、水、水持ってくるっ」
そう言って慌てて椅子から立ち上がると、三村さんは言葉通り駆け抜けるように会場の中へと戻って行った。
扉が開閉するたびに、中から生のジャズライブの音が流れてくる。
お酒のせいか妙に心地よくなってきた気分に、その音は至福だった。
半ばうつろいそうな意識の中、戻ってきた三村さんに水を差し出される。乾く喉にそれを流し込んだけれど、それで酔いが冷めるものでもなかった。
自分が、こんなにお酒に弱いとは知らなかった。
頭の中はふわついたように曖昧で、心配そうな三村さんを見返した目は恐らくきちんと焦点が合っていなかったと思う。
「大丈夫？」
そう何度も声をかけてくれていた三村さんだったけれど、どこかで何らかのスイッチが入ったのだろうか。
私がよっぽどトロンとした目でもしていたのかもしれない。ただ気づくと、それまで心配そうにしていた顔が極至近距離にあった。
「……っ！？」
唇が触れそうな距離まで来て、一気に意識を叩き起こされた気がする。
三村さんのそれからもう逃れられない距離であるのを実感した瞬間、驚きの余り覚醒した脳がはっきりと拒絶の色を濃くしたけれどもう遅い。
酔いは冷めても、すぐに行動に繋がらない。
「…や…っ」
思わず小さな声が出るのと、ダン！！！と大きな音が後方からするのが同時だった。
触れかけた唇が離れ、三村さんがビクリと肩を震わせる。彼自身、自分でも信じられない行動だったのかその音で我に返って目を見開いていた。
「…あ…」
そんな彼と、音のした方を振り返る。そこには、手近の壁を殴った手はそのままで本城先生がこちらを睨み据えて立っていた。
その姿に三村さんが怯むと同時に、私の酔いも本格的に冷める。
「…先生…」
思わず呟いた私を無視して、先生は三村さんを睨み下ろした。
「三村、うちの生徒に軽々しく手出すな」
「す、すいません…っ」
恐らく当時から先生のことが怖かったに違いない。三村さんはこの世の物を見るものではない目つきで怯えきっていた。
それから、「か、和美ちゃん、ごめんね…」と言い置いてテラスから足早に去って行く。
キスされかけたことは驚いたけれど、今この場に先生と２人残されたくない気もした。
三村さんが慌てて出て行ったのを確認してから、先生はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
冷たい目で私とテーブルの上を交互に見比べ、「…酒か」と舌打ちまじりに呟いた。
「あの、これは…間違いで飲んでしまって…」
言い訳じみたことを言いかけた私だったけれど、身が竦むほどの先生の恐ろしい視線を受けて口を噤んでしまう。
「お前、俺が言ったこと聞いてなかったのか。『変なのに絡まれんな』って言っただろうが」
端正な顔が、不機嫌に歪んだのが分かった。
「三村さんは…『変なの』じゃな…」
「酒飲ませてキスしようとするような奴のどこがまともだ！！」
言葉を遮るように怒鳴られて、私は思わず身を竦める。私にお酒を飲ませたところまでは三村さんだってわざとじゃないとか、それ以上の言い訳は先生を余計に怒らせそうだった。
「ちょっと話したぐらいで誰でも信用する癖をやめろ！ お前は隙がありすぎる！！」
「…っ」
そこまで言われてようやく、私だって「…何よ…」と反抗したい気持ちが出てくる。確かに今回は先生に助けられたけど、そんなに責められるようなことだろうか。
意図してのことじゃない。なのに……。
「先生にそんなこと言われる筋合いないです…っ」
もう彼氏でもない。私のこと好きでもないくせに…。それなのにどうしてそんなに不機嫌なのか。
教師としての忠告だったら、そんなのは余計なお世話だ。
だけど次に口をついて出たのは、自分の意図したものとは全く別のものだった。
「先生だっていけないんです！ 先生が…っ」
言いかけた私は、ハッと我に返って口を噤んだ。『先生が』…？ その先は…？
「…俺が何だよ」
こんなに冷たい先生の声を聞くのは、どれくらいぶりだろう。あの何もかもを拒絶された時の声に似ていたけれど、 それだけじゃない頑なな何かも感じ取れた気がした。
「……先生が…っ」
責任転嫁しようとしたのか、そうは言うものの続きが出てこない。だけど脳裏に浮かぶのは、さっきの女の人たちに囲まれた先生の姿だった。
単なる嫉妬か八つ当たりか…。頭が整理しきれない。お酒のせいなのか、自分が未熟なせいなのかは釈然としなかった。
ただ、反論しようとした言葉すらうまく出てこない。先生を責めようとした声もうまく継げず、飲み込むしかなかった。
「…っ」
そんな自分をもどかしくも感じて歯がゆくなったのと、先生が手を伸ばすのが同時だった。
言葉を告げないまま声にならない声を漏らしかけた私のそれを、唇を塞いで先生が押し込める。
「！！？」
乱暴に押し付けられるその唇は、驚くほど冷たかった。不意打ちすぎて、三村さんの時のように身を強張らせる余裕すらない。
驚きの余り目を白黒させていると、やがて会場内のどこかから「ユキー？」と誰かが先生を呼ぶ声がした。
「……」
その声に、重なった唇を離した先生がグイッと私を押し返して身を起こす。
そのままスッと踵を返して声のした方に向かうものだから、その顔すらまともに見ることは叶わなかった。
「…な…んで…？」
自分の唇に指を押し当てて、私は真っ白になる頭でそれだけを呟くのが精一杯だった。