Short Berry Chocolate 1

いかにも甘そうな濃い茶色のタルトの端を、フォークで一口分切り取って、 「でね」と続けた声が言う。 「その人ね、こう言ったんだよ」 前置きが必要なほどの内容を聞くことができるとは思えなかったが、 一応、軽く頷いてやることにする。 そうでないと話が続かないからだ。 別に続かなくてもいいのだが。 「『君みたいに素敵な人と今夜逢えたことは奇跡だ』って！」 持っていたコーヒーをどこかにかけてやりたい衝動が起こったが、我慢した。 大人になると後始末のことを考えてしまうからいけない。 つまりストレスとはこういったところから生まれるのだろう。 そんな当たり前のことを考えて、何とかその衝動を抑えるが、隣からは高周波のはしゃぎ声。 「すごくない？すごくない？」と言いながら切り取ってあったタルトを口に運んでいる。 その一瞬だけ笑い声が収まった。 黙っている方が魅力的に見えると思う。本人に伝えた事はないが。 フォークを持つ白い指が綺麗に動き、また次の一口分を切り分けていくのを横目で追った。 食べ終わった口が再び話し出す。 「けっこう高そーなお店だったんだけどさあ、料理もすごい豪華でー、ワインとか飲んだりしてね」 頷くのが面倒になって適当に相槌をうちながらコーヒーを飲んだ。 もう冷めかけているのが残念だ。 「でー、全部奢ってもらっちゃって、その後どこか行かないか、って話になったんだけど」 「断った」 「そ、断っちゃった」 笑顔のまま首を軽く傾けて、肩を少しだけあげて。そしてまたタルトを一口食べて「おいしー」などと言っている。 こんな笑顔でなら、きっと騙されているほうも本望なのだろう。 壁の時計を見る。 そろそろいいだろうか。コーヒーもとうとうなくなってしまった。 「もういいかな？話終わった？」 「えーヒドイーまだ聞いて欲しいんだけど」 「長いよ」 「冷たーい」 口ではそう言いつつも、バックの中身を確かめて周囲を軽く見回している。 見慣れた人間が見ないとわからないほどの一瞬、目つきが変わったが、すぐに戻った。 こういう人間が一番こんな社会では生き残れる、と思う。 コミュニケーションをする対象と、その場の状況からキャラクターを作り出す。 そういったことが得意になれたら便利だとは思ったが、自分はなれなかった。 「はい、これね」 プレゼントでも差し出すような口調と手つきで封筒を渡される。 いつもより少し厚めのような気がして、その目を覗き込むと楽しそうに笑う顔と向かい合う形になった。 思わず、顔をしかめて後ろに頭を引いてしまう。 「あ、ヒドイ」 「酷くない」 片手の封筒で一度、カウンターを叩いてから目だけで問う。 「まあ、受け取ってよ」 作ったものではない笑顔を一瞬、こちらに向けて。 フォークを片手に、タルトに目を戻した顔は先ほどまではしゃいでいた人格になっていた。 フリルが施されたブラウスに、ふわりと広がるスカートから伸びた白い足。 その足には、それで歩けることが不思議なほど高いヒールのサンダルがある。 「あ、これいいでしょ？」 足をこちらへ向けて、そのサンダルを見せてくる。 「さあ」と返すと 「君にも似合うよ」と返された。 思い切り眉を寄せてしまう。 「趣味じゃない」 「これ、食べる？」 「食べない」 タルトの上に載っている凍ったラズベリーをフォークで刺して、「おいしいのにー」といつもの口調。 「疲れない？」 余計なお世話だ。そう思いながら、言ってしまった。 「まあね、でも楽しいよ」 ラズベリーを口に入れて、グラスを手にする。溶けた氷が音を立てて崩れて回った。 「君は疲れない？」 「女装するような男と一緒にいることが？」 わざとそう言ってやる。 予想通り、嬉しそうな笑い声が返ってきた。

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