Short Berry Chocolate 3

「また会える？」 腕をからめて左下から見上げてきた女が、鼻にかかる声でささやいて来た。 酔っ払ったその高い声は、やけに耳障りな響きを持つ。 数日前に会った、あの女装男の声の方がよほど可愛らしいと思えるほど。 もう終電に近い時間だというのに、大勢の人間が通りには溢れていた。 高い酒のせいで少しも酔えなかった頭には鋭すぎるネオンの光。 無視するには大きすぎる人の声。 甘い、女の香り。 「どうかな」 女の左手に光る指輪を意識して一度だけ見る。 「ああ、これぇ？」 自分の方を向いたことが嬉しかったのか、上機嫌な声で女は言った。 「ニセモノよニセモノ、安心してよーフリーだから私」 調査依頼主はこの女の実の夫だ。 毒のあるジョークを思いつくが、もちろん口に出せるわけもなく。 軽く笑うだけの反応に留め、「じゃ」と言いつつ立ち去ろうとすると 「待って」と腕を引き戻された。 頬に触れる湿った体温。 思わず眉を寄せてしまったが、幸い気づかれた様子はない。 肩をすくめて、そのまま手を挙げてすばやく離れると、 「ばいばーい」と、笑顔のまま手を振る女の姿。 ニセモノなのは、指輪か愛か。 馬鹿馬鹿しい。 終電の地下鉄をいくつか乗り継いで辿り着いた駅から地上に出る。 そこで指定されていたバーに入ると、珍しく時間に間に合っている男の姿。 相変わらず胸焼けしそうなパフェを食べていたが、男の前にはもう一品、ケーキらしきものがあった。 「太るよ？」と席につくなり言ってやると 「これは君の分」と、いかにも面白がっているといった顔で返される。 露骨に嫌な顔をしてやると、満足したように男は自分のパフェを食べ始めた。 今日は普通のチョコレートパフェらしい。 しかし自分の目の前にはラズベリーの載ったチョコレートケーキ。 腹いせに、店員に一番高い酒を注文する。 片足を組んで、「ん」と封筒を渡すと 「はい」と受け取ったあとで、別の封筒を返された。 やっぱりか。 片方の眉を上げただけで返事をし、封筒を受け取る。 「ちゃんと見てあげなよ？」 苦笑しながら自分にだけ聞こえる声量で囁かれた。 少し擦れたような控えめの高さの声。 「ああ」 受け取った封筒を鞄に仕舞う。 その送り主であるあの女装男の声も、そう、地声は確かこんな声だった。 そこでふと、向けられている視線に気づく。 目の前の男の背中越しに、こちらを見ている３人の女のうち１人と目が合った。 それは本当に一瞬であったが、３人は一斉に顔を逸らして何事かを話し始めている。 「どうかした？」 チョコレートとバニラの混ざり合った、甘い香り。 フレークと溶けたバニラアイスを僅かに残すまでに食べ進められたパフェをちらりと見て、 ずっと気になっていた事を話す気になった。 「やっぱり、あなたが直接彼に会った方が効率が良いんじゃないか？」 おや、という顔をされたので、もう少し話してみることにする。 「彼の仕事の特性上、あなたのような男性と店で会うことが好ましくないとは前に聞いたけど」 「覚えていてくれて良かったよ」 店の照明が暗いためなのか、今日は眼鏡をしていない男の目。 その目と直接目が合ってしまう。 少し色素の薄い瞳。 何故か目を逸らしたら負けるような気がして、視線が合ったまま無言で堪えた。 そのまましばらくすると、「はは」と、軽い笑い声。 「そうだね、ホントの事を言うと」 そこで少し声量が下がったので、心持ち体を前に倒す。 「彼から、『男ばかりと会っていたら気が滅入る』と、泣きつかれてね」 思わず、体を前に倒したまま目の前の顔を凝視してしまったため、 かなりの至近距離で目が合った。 「わ」と言って体を引くと、 「あ、傷つくな」と言いながら困ったような顔をされる。 そこで、やはり思っていたことを口にしてしまった。 「ああ、やっぱり似てる」 誰のことかはわかるだろう。 それは。 「まあね、俺も昔、彼と同じ仕事をしてたわけだし」 帰り道、街頭に透かしてみた封筒の中には、やはり写真が入っていた。 いつからか、あの女装男は報告書の中に自分に宛てたモノを入れるようになったのだ。 直接渡せば良いものを、会社の規則上、お互いのプライベートには立ち入れないことになっているせいか、 先ほど会った上司を通して、手紙のようなものを渡す気になったらしいのだが。 それはしかし手紙、と呼べるほどのものでもなく。 その日見た、植物の姿のことだったり、空や雲の色についてだったり、写真だったりする。 写真の日は、封筒が少し重くなるので、受け取る時にわかってしまう。 その時の反応に困るため、あんな態度になってしまうわけだが。 自分も仕事上、女とばかり会うため、彼との会話は確かに多少の気晴らしにはなる。 しかし、どうしたものか。 今、暗い夜道を歩く自分は、どこから見ても男にしか見えないだろう。 でなければ仕事にならない。 しかしいくら仕事とはいえ、長く続けられる種類のものではない。 そう、今日会った、上司のように。 ふと、街頭を避けて、道の真ん中を歩く。 光はあの毒々しいネオンの色を思い出すから好きじゃない。 あんな光に、慣れてしまってはいけないのだ。 封筒から写真を取り出すと、どこで撮ったものか、たくさんの星が浮かぶ夜空の画。 それを星の見えない空にかざして見た。 それは何故か、今の自分や彼の立場と被って見えて。 女に戻ることになったら、何をしてみよう。 ふと、考えた。 そうしたら。 そう、例えば自分で、ラズベリーの載ったスイーツを注文してやろうか。 その時、目の前にいるとしたら果たして誰か。 「馬鹿だなあ」 現実味のない想像を一言で笑いとばして、アパートの部屋に戻る。 そしてあの甘い香りを消すために、気に入っているコーヒーの粉を手に取った。

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