It's a sin to tell a lie 15

「…はっ」
　冷えた空気が痛く感じるほどの沈黙の後、やがて蓮くんはそんな声を漏らした。
　呆れたように零れ落ちた声は、闇に溶け込むように吸い込まれる。そんなささやかなため息にも似たそれに顔を上げると、彼は端正な表情を歪めていた。


「何の冗談？」
　首の角度を傾けて、挑発的とも取れるような顔で私をただ見下ろす。
「全然笑えない」
　テナーボイスが告げたその言葉に、私は大きく目を瞠った。信じられない思いで見上げたけれど、蓮くんはそれでもニコリともしない。
「和美、悪いけどそんな冗談聞けるほど俺は親切じゃないよ」
「…蓮くん…っ」
　愕然とした表情で言葉を探すけれど、すぐには出てこない。こんな展開、こんな切り返し…想像していなかった。本当のことを言えばすぐに、修司さんたちから手を引いてくれると思っていた。矛先が本城先生に向く可能性はあったけれど…。


「そんな嘘ついてまであの小塚さんを守りたいわけ？　あの場にたまたまいた本城先生を巻き込んでまで？」
「違う…っ」
「最低だな、和美」
　私の声なんてもう届かないのか、少し目線を逸らし気味の蓮くんは吐息まじりに言う。私の頭の中はまるで凍結したように動かず、瞬時に返すべき言葉なんて思い浮かばない。
「そう言えば俺が小塚さんから手を引くと思った？」
「…だから…っ、違うの！　あれは修司さんが私と本城先生のことがバレないようについてくれた嘘で…」
「本気で呆れた」
　聞く耳も持たないっていうのは、こういうことだろうか。
　眼鏡の奥の目を一瞬伏せて、蓮くんはもう一度盛大に息を吐き出した。それから、「分かった」と自己完結させたように続ける。


「そんな嘘まで吐く和美に免じて、あの２人の結婚パーティー当日は邪魔しないよ」
「……っ、本当？」
「うまくいきそうなものを壊すより、一旦うまくいってからの方がやりがいがありそうだし」
　一瞬安堵しかけた私だったけれど、続いた蓮くんがあまりにも恐ろしく綺麗に笑うものだから背筋を冷たいものが駆け抜けた気がした。


「…蓮くんは、一体何がしたいの」
　さっき尋ねたはずの問いを、この時もう一度口にしていた。彼の真意が本気で分からない。修司さんにそこまでして、彼に何の得があるのか。
「まだそんなこと言ってるの？」
　おかしそうに唇を持ち上げた蓮くんは、歪んだ笑みを浮かべる。
「和美が俺のところに戻ってきてくれるなら、何だってするよ」
　言った蓮くんの手が、スッと持ち上がった。私の髪に、頬に触れそうになる長い指を、バッと瞬時に身を引いて避ける。
「……」
　それを少し冷めた目で見下ろしていた蓮くんは、ふっとまた笑みを漏らした。だけど全く目は笑っていなかった。
　…異常だ、と思った。好きだと言われているようなものなのに、好かれている気が全くしない。
　それはもはや、単なる執着のようにも思える。




　…「嘘は罪」。確かジャズのスタンダードにそんな曲があったっけ…。
　そんなことを漠然と思ったのは、蓮くんの深すぎる闇のような色の瞳を見つめ返した時だった。


　全ては一つの嘘から始まった確執と執着。
　簡単には拭いされそうにないそれを、私はどう乗り越えるのだろう。…どうしたら、守りたいものを守れるだろう。



　自分が蓮くんと元鞘に納まれば、修司さんは救われるのだろうか。
　そんな漫画にでもありそうな展開を考えなかったわけじゃないけれど、私はその道を選べそうになかった。


「邪魔しないで。…修司さんと、それと諒子さんのこと」
　毅然とした態度で言うと、挑発されたと思ったのか蓮くんはもう一度笑う。だけどそれは、さっきまでの冷たさを含んだ笑みではなかった。
　愛情と憎悪の入り混じったような…狂ったような感情の笑み。


「それと、私のことも」
　付け足すように告げた言葉は、考えたものというより自然と零れ落ちたものだった。蓮くんとのこのやり取りのおかげで…ようやく目が覚めた気がする。
　忘れなきゃいけないと奮闘したり、忘れたくないと葛藤したり…グルグルしていた自分が嘘みたいだ。頭はクリアになって、自分が本当に望んでいるものがはっきり見えた気がした。




　先生、やっぱり私は先生が好きです。

　先生が由香子さんのところへ行ったとしても…もうこっちを振り向いてくれないとしても。
　自己犠牲的な精神に走って蓮くんのところへ行く道なんて選ばない。修司さんや諒子さんを守ると同時に、私は先生のことを想う自分も守りたい。


「戦うよ、蓮くん」
　はっきりと告げた私を、蓮くんは黒い笑顔を浮かべて見下ろしていた。