『雫に浸る夜』



10 赤


赤い服の女と、ひどく久しぶりに見た気がする友人の顔に気を取られていた青柳朋希は、その視界を遮られるまで黒い服の男の存在に気づかなかった。
「入れ」と言われて、部屋の中に引き入れられる。また左の手首を掴まれた。

そのうち千切れてしまうかもしれない。

部屋に入り、改めて見てみると同じような黒い服を着た男が数人。赤い服の女と、その後ろに黙って立ったままの遠野浩一を取り囲むようにして立っていた。

全員が、手に黒く光る重そうな物体を持っている。

筒のようなものの先が、全てこちらに向けられていて。

映画や、テレビの中でしか見かけないものだ。日本にはないはずのものではなかったか。しかし警官は持っていると聞いたことがある。それが自分に向けられている理由が青柳にはわからなかった。

遠野が、ずっと俯いたまま、表情を変えないことも。

先程笑っているように見えたのは見間違いだったのだろうか。

「本物だよ」と、女の声がする。

女の方を向くと、人形のような顔が見えた。微笑みながら、男たちが持っているものと同じ形をしたものをその手に持って、こちらへ見せて来る。

女はそれを、そのまま後ろにいる遠野に向けた。

遠野はそれでも動かない。

人形のように。

「青柳朋希君」

首を傾げて、顔は青柳を見たままで、女は青柳の名前を呼んだ。

誰の名前だろう。

彼女は、誰なのだろう。

「声を、聞かせて？」

目の色は、黒く厚い睫毛に隠されて見えなかった。

赤い唇が、生きているみたいに光って動く、その様を見ながら。

青柳は、口を動かした。

「誰、ですか？」




DOLL／
＞ 素敵な人がいるの

ROSE／
＞ へえ？

CAT／
＞ 何の話？

DOLL／
＞ 目がキレイなの、真っ黒で、深い。

ROSE／
＞ 夜みたいな？

DOLL／
＞ そう、夜みたいな。

CAT／
＞ 仕事の話じゃないね？

ROSE／
＞ 帰っていいよ

DOLL／
＞ 聞きたくないの？

ROSE／
＞ 君の個人的な話だろう？

DOLL／
＞ ああ、帰っちゃったね…ローズは？

ROSE／
＞ いるよ、その相手が気になる。どんな？

DOLL／
＞ 目以外は変わりないかもしれないけど…本当に素敵

ROSE／
＞ どこにいる？

DOLL／
＞ C大までの道をよく歩いていたの。着いて行ったら大学生みたいだった。

ROSE／
＞ 追ってるの？

DOLL／
＞ 見てるだけだよ

ROSE／
＞ ほどほどにね

DOLL／
＞ 興味ない？

ROSE／
＞ ないね。それじゃあ

DOLL／
＞ 残念ね




赤い、ロングの膨らんだスカートが、ふわりと揺れて、女がゆっくりとお辞儀をする。

「青柳君には初めまして、だね。ドールって呼んで」

心臓が、大きく音を立てた気がした。一瞬遅れて、息を吸いこみながら青柳朋希は女を見る。
「…ドール…？」
「そう」
微笑んで、いや、先程からもうずっと、青柳を見つめたまま微笑んでいる女。

“DOLL”だ。

青柳の頭に浮かんだのは、携帯電話に届いたメールの送信者の名前だった。

ドール。

この、女が。

赤い膨らんだスカートと、フリルのたくさんついた赤い服。頭にもどうやってついているのかわからないが、白と赤の色がついたレースのような布が見えた。よく見ると顎の下に赤いリボン。
黒い、長い、ストレートの髪が、ドールの動きに合わせて細かく動く。

そして、真っすぐに後ろに伸ばされている細い、白い腕。

その手には白いレースのついた手袋がはめられていて。

そしてその手が、不釣り合いなほど真っ黒に重たく光る金属の塊を握っている。

青柳は、遠野の顔を見ようとした。

目を、合わせようとするが、うまくいかない。どこを見ているのだろう。

「怖くない？」

微笑んだままのドールが言った。
「ごめんなさいね…みんな心配性なのよ…急には撃たないから、安心してね」

一度、周りにいる黒い服の男たちを見渡してから、ドールはまた青柳に視線を戻す。
“みんな”とは、その男たちのことらしい。

『撃たない』なんて。撃つための道具をその手に持ちながら？

頭痛と共に、背中の中心から首筋の辺りに痺れが走った。

青柳は僅かに、眉を寄せる。

「あ、その顔…」

何かと思い、青柳はドールの目を見るが、その後の言葉は出てこなかった。ドールは先程よりもさらに目を細めて微笑んだようだったが、この女も、目の焦点がどこにあるのかわからない。

目が、真っ暗なのだ。
黒い色がやけに多い。

白い肌と、黒い大きな目と、赤い、光る唇が。

人形のような動きをしている。

恐ろしい、と。

この感情を表現するなら、そんな言葉で良いのだろうか。




ROSE／
＞ 良い案があります。アクアを呼んでください。

Utopia／
＞ どんな？

ROSE／
＞ 以前から、ドールとは話をした事があるので、彼女の趣味は把握してます。

Utopia／
＞ それがアクアとどう関係している？

ROSE／
＞ 彼が承諾したら、報告します

Utopia／
＞ 殺すなよ

ROSE／
＞ アクアですか？ドールですか？

Utopia／
＞ アクアだ。

ROSE／
＞ 珍しい

Utopia／
＞ 奴はいつでも死んでくれる。

ROSE／
＞ ああ、そうですね。ドールには惜しい。

Utopia／
＞ そうだ。




「その椅子に座ってくれる？」

青柳の背後で、人の動く気配がした。振り向いてみると、先程はなかった椅子が置いてある。やけに上等そうな光沢を持つ大きな木製の椅子だった。
背もたれの部分の装飾がうるさい程細かくて、上品なのが少し気に入らない。
座る部分にも、よく分からない模様の入った布が貼られていて、柔らかそうな曲線で膨らんでいる。
その部分を見たくなくて、目を椅子から逸らせたまま青柳は言われるがままに腰かけた。

ドールはというと、片手は遠野の方へ向けたまま、もう片方の手を顎に置いて、その様子を食い入るように見つめている。青柳の、顔と、体と、足までを見て、青柳の周囲の、恐らくは椅子の部分に何度も視線を往復させていた。

「手を置いてくれる？その横にある、肘掛け？で良いんだっけ？」

顎に置いていた手でこちらを指差し、青柳が右手をそっと挙げると「そうそう、そのまま横に置いて」と女は続けてくる。
言われるがまま、青柳は椅子の肘掛けの部分にゆっくりと右手と左手を置いてみた。

「…ああ、ダメね、次の持って来て」

横にいた男が動いたのが見えたため、青柳は反射的に肩を震わせてしまった。それを見てドールが「あ、そのまま座ってて、すぐ次のが来るから」と言って来る。

自分は何を、させられているのか。

と、青柳の座っている椅子の横に、違う形の椅子がもう１つ、静かに置かれて行った。

「ごめんね、今度はそっちに座ってくれる？」

品定めのようだ。

瞬間、浮かんだイメージに血の気が引く。

先程よりも一気に鈍くなった膝の間接をなんとか動かして、青柳は隣に置かれた椅子に座った。

その、形が違う椅子を、今度はじっくりとは見られなかった。

初めに座った方の椅子は、青柳が立ち上がると同時に片付けられて行く。その片付けられた椅子の行方と、新たに出された椅子の在処が少し気になってしまったが、確かめない方が良いような気がしてしまう。

ドールが、また先程と同じようにこちらを見ているのがわかった。

青柳はどこを見ていいのかわからないまま、座らされた椅子の柔らかな感触と、自分の手が触れている堅い感触について考えようとしていた。

その後も何度か、同じような手順で椅子に座らされていく。

青柳はその間、気づいたら自分の膝ばかりを見ていた。

何を、やらされているのか、知りたいとは思うものの、知ってはいけないという予感があった。

そして、きっと、聞いても、理解できないのであろうことも。

椅子の区別ももう認識する気もおきなくなった頃、ドールがまた口を開いた。

「うん、じゃあ今度は着替えてくれる？」

驚いて、思わずドールの目を見てしまう。目が、合ったのかわからないが、女はとても嬉しそうな笑顔を向けてきた。

その瞬間に、その異様な光景に今更ながら鳥肌が立つ。

綺麗な椅子に座っている自分と、

赤い服を着たまま、笑顔で友人に銃を向ける女と、

無表情のまま立っている自分の友人。

そしてそれを取り囲んでいる、
銃を持った、数人の黒い人間。

そうだ。

銃だ。

何で、そんなものを。

「コレ、着てくれる？」

そこで声を漏らして、本当に嬉しそうに笑ったドールが、横にいた男の持って来た洋服を青柳に見せた。正装、と言われるような服に見えたが、青柳はその辺りの事にあまり詳しくはない。それよりも、何故着替える必要があるのか全くわからなかった。
椅子に座ることも、十分に意味がわからなかったが。
しかし。

「…どこで？」

情けない。

一瞬、反抗しようとした衝動を抑えた結果、出た言葉が、これだ。

どうしてだろう。

こんなにも、自分はおとなしい人間だっただろうか。

動け、と。自分の足に言ってみたが、歩けそうな気配すらない。

「恥ずかしい？ごめんね…じゃあ、そうね、私だけは後ろを向いてるから」

洋服を横の男に渡すと、ドールはそのまま後ろにいる遠野の方へ体を向ける。遠野はやはり動かないままだ。洋服を促されるままに受け取りながら、青柳は遠野の顔を見た。

俯いた顔は、目をほとんど閉じているように映る。

ドールが、首を傾げながら遠野の頬に触れるのが見えた。

「遠野君…パンを食べた？」

遠野の視線がドールを捉える。白い手袋は遠野の頬に触れたまま、反対の手はその銃口を遠野の首元に当てていた。

パン？

女の、笑う声がした。

銃をおろし、「大丈夫ね」と言って、遠野の近くにいた男に向かって「遠野君も、着替えさせてあげて」と続ける。
連れていかれそうになっている遠野を見て、青柳は思わず「え」と声を出してしまった。

と、ドールがこちらを振り向く。

「大丈夫よ、眠くなってるだけだから」

やはり、嬉しそうな顔のまま。

すると、青柳の後頭部に硬い感触がして、「着替えろ」と声がかかった。

「ダメよ、イジメないで」

ドールが話す。

イジメ？

眠く？

何なんだ、これは。

何が、起こってるんだ？

手にした服と、後頭部の感触が、急に現実味を帯びた。

自分の、おとなしい態度に腹が立ってくる。

「理由を、教えてほしい」

勢いで、声が出た。言ってしまった瞬間に、息を飲み込んでしまったが。

ドールと目が合う。

ドールはゆっくりと、笑顔になって、「待って」と遠野を連れて行こうとしていた男に声をかけた。
そして、こちらを振り向く。
「あなたも…青柳君にあまり近寄らないで」

後頭部の感触がなくなって、人が遠ざかる気配がした。

しかしまだ、銃口がこちらを向いているのだろう。

視界にいる、全ての人間が手にしている銃がほぼこちらに向いたままなのだから。

遠野には、もう何も向いていない。それが少しだけ救いに思えてしまう。
実際には、何も救われていないこともわかっていたが。

「その服を、着て欲しいの」

こちらを、下から見上げるような目線で見て、口を一度結んでからそんな言葉を言ってきた。

そうじゃない。聞きたいのは。

「…どうして？」

「どうして？」
大きく見開いた目を向けて、首を軽く傾けて、ドールは不思議、という顔と声をする。

「何で…服、なんか」
続ける言葉を考えながら、青柳は何とか話そうとした。時間稼ぎしているような錯覚があったが、自分が何の時間を稼いでいるのかも正直わかってはいない。

「似合うと思うよ」
「似合う…とかじゃなくて…何で…そんな」
「そんな？」

青柳は呼吸を整える。喉が乾いている気がしたが、唾液を飲み込んで誤摩化そうとした。

「俺を、どうする…つもりなんだ」
言いながら、情けなさに目眩がしそうだった。

何なのだ、この台詞は。

しかし、ドールは、ここで一番嬉しそうな顔をした。

「私はね、アナタが、欲しいの」

そう、言いながら。


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